日本ユニセフが提供する画期的な事業

ユニセフという団体をご存知でしょうか。
この組織は1943年にアメリカ合衆国のニューヨークで結成され、世界各国の子供に対して手厚い保護をおこなうことを目的としている団体です。
日本でも1945年の第二次世界大戦後から約10年間の間、子どもたちに対して給食の支給から戦争孤児の保護までなされていたほどです。
今も東南アジア・アフリカ・中南米で大々的に活動をされており、日本もその事業に力を注いでいます。
ここではユニセフの成り立ちと、日本ユニセフ独自の画期的な事業について詳しくご紹介をしていきましょう。

組織の中心であるニューヨーク本部の活動

まずは組織の中心であるニューヨーク本部の活動を解説します。
もともとは国際連合の一部として機能をしており、当初は国連児童基金という名称でした。
結成をなされたのは1943年で、当時は第二次世界大戦の真っ只中だったわけです。
この戦争では多くの子供達が両親を亡くしており、そのことを危惧した当時の国連本部長が児童基金の設立を同盟国に訴えかけたのでした。
その頃、日本は同盟から外されており結成の可決には参加をしていませんでした。
それから1945年の終戦後、日本には国連から派遣をされたGHQが政府の暫定政権を担うこととなり、ここでユニセフの手厚い保護を受けることになります。
東京や名古屋・大阪は戦時中は大きな空襲の被害を被っており、戦災孤児たちが約400万人もいました。
彼らは当時はガード下やバラックなどに住んでいたものの、食べるものもなく病気で何人もの子が命を落とす結果となっていたわけです。
事の重大さを進駐軍から聞いた国連本部長はすぐに児童保護の命令を下し、日本政府とGHQの後押しをすることとなります。

孤児院の建設を全国12都市で開始

まずは孤児院の建設を全国12都市で開始をし、ここで戦災孤児を引き取ることになりました。
この施設の運営資金は当時の国連理事国が出し合っており、イギリス・フランス・オランダなどの欧州の諸外国が担っていたわけです。
孤児の収容が完了したのは1947年のときで、そこからは全国の小学生に向けて給食を開始します。
70代以上の方であれば、学校で脱脂粉乳をもらったり肝油ドロップの配給を受けた記憶があるでしょう。
それが児童基金の保護になります。
なお、1947年4月から児童基金という名称はユニセフに変更をされました。
この名前はユニバーサル・セーフティーネットの略称で、世界の子供を救うという意味になっているわけです。

高度成長期を迎えた日本が新たに日本ユニセフの組織を結成するに至った背景

1950年までユニセフの日本国内の小学校に対する手厚い保護は続き、未成年者の栄養失調という深刻な問題は解消されるに至りました。
ここからは、高度成長期を迎えた日本が新たに日本ユニセフの組織を結成するに至った背景を見ていきます。
時代は1960年に突入し、敗戦国という雰囲気を一切感じさせない国となったのが日本です。
所得倍増計画というスローガンを当時の政権は打ち出し、日本は高度経済成長期を迎えました。
GDPは当時80パーセントを記録するまでに成長し、一躍先進国と言われるまでに急成長を遂げていたころです。
1965年には日本は国際連合に再び加盟を行ない、戦後復興をなし終えたことをアピールするように多くの慈善運動を開始しました。
そのひとつとして日本ユニセフ支部を東京都港区に開設して、活動をはじめたわけです。

遺産寄付基金について

ここでは今、新たな事業として「遺産寄付基金」というものも用意をされています。
この基金ではお子さんや親族がいない高齢者に対して、遺産を世界各国の恵まれない子に分け与えようという名目を掲げているのがポイントです。
昨今は国内では少子高齢化が進んでおり、さらには結婚をなさらない方も増加しました。
独身のままお亡くなりになった場合、残された資産はすべて国が没収することになります。
その遺産を生前に有効活用できるのが遺産寄付基金であり、所定の手続きを日本ユニセフにておこなえば完了するものです。
その具体例を述べていくと、東南アジア諸国の子供を救いたいと考えている方であれば、あらかじめどの国のお子さんの手助けをしたいのかと指定をして実行に移せます。

日本ユニセフではマンスリーサポートという保護活動もなされている

日本ユニセフではマンスリーサポートという保護活動もなされており、一種のワールド・ビジョンでみる里親制度ともいえるものです。
この場合でもご自身が助けたいと思うお子さんを指名することができるので、ピンポイントの寄付・保護を実施できるわけです。
遺産寄付基金でも同様で、自身が生前蓄えた資産を確かな形で手渡すことができます。
日本ユニセフでは限りなく透明な保護をするということを述べており、どんなルートで物資・資金が流れているのかも明白になされているのがポイントです。
国連の一部でもあり、ユニセフではこの日本支部を今後は中枢機関に加えることを検討されています。

まとめ

戦後に受けた恩を大きな形で返している組織でもあり、われわれもそのことを念頭において力をあわせていくことが大切になります。

参考文献
日本ユニセフ協会 sdgs

ユニセフ遺産寄付プログラムでできる恵まれない子どものサポート

世界には勉強をしたくても家庭の事情から学校に行くこともままならない、病気が蔓延して満足に健康な生活を送ることができない子供たちがたくさんいます。
ユニセフは、そんな恵まれない人々をサポートするプログラムで世界中の人たちの善意の寄付により恵まれない人たちをサポートしている団体です。

例えば、まとまった遺産があるものの相続させる予定のある親族がいなかったり、親や親族がなくなる前に寄付をしたいという遺言があったりそのような意見を聞いていた場合には、ユニセフ遺産寄付プログラムという制度を利用することで故人の遺志を尊重することができます。

ユニセフの役割

 遺産が少しだけでも、海外では日本とは貨幣価値が異なりますので1000円でも1万円でも、子どもたちの予防接種の費用になったり学校へ行くための費用に充てることが可能です。 

ユニセフでは、発展途上国などの経済的に困窮している子供たちをサポートしていますので、そんな人々をサポートしたいと考えている方やその家族の方はこの機会にこうしたシステムを利用してみてはいかがでしょうか。

ユニセフというと、募金などが有名ですが遺産というとあまりユニセフとはかかわりがないように考えられがちです。
しかし、家族に財産を残すよりも経済的に困窮していて学校にも満足に通えなかったりその日食べるものにも困っている、という人たちを支えたいと考えている人は少なくありません。

ユニセフ遺産寄付プログラムとは?

遺留分として残す分以外は、まとまった金額はこうした子供たちにのこしたいと考えているならユニセフ遺産寄付プログラムを利用するのがお勧めです。
ユニセフ遺産寄付プログラムでは、いくつかのやり方があって、遺言書の作成をしてそれに基づくものと、相続したものを寄贈するやり方に加えて香典返しの代わりに寄付というやり方があります。

高齢になったり余命があまり長くないと悟った親族がユニセフに寄付することを望んでいるならば、遺留分などの問題をクリアにしてそれ以外の財産を寄付するという旨の公的な遺言書を作成することで、スムーズに世界の子どもたちをサポートすることができます。

相続財産から親族が故人に代わって寄贈することも可能

生前、個人が自分が亡きあとは財産を寄贈したいという旨を親族に伝えていた場合には、相続財産から親族が故人に代わって寄贈することも可能です。
更に、葬儀や告別式などで渡される香典返しにかえてそれにかかる費用を寄付するやり方もあります。

大きく分けると3つのやり方がありますので、ユニセフを通じて貧困にあえぐ地域の子どもたちを何とかしてサポートしたい、と考えている方やその親族の方はこのシステムを利用してみてはいかがでしょうか。
遺産というのはお金持ちの人のものだけではなく、家族が亡くなった時にはいくらかの相続が発生することは少なくありません。

システム化されているのでスムーズに遺産を寄付することが可能

故人がボランティアなどに熱心だった場合、遺志を尊重することは弔いにもなります。
ユニセフ遺産寄付プログラムなら、システム化されているのでスムーズに遺産を寄付することが可能です。
自分たちがおくったお金がどのように使われるか心配、どんなシステムなのかを知りたいという方はウェブサイトから資料の一式を請求できます。

基礎知識に加えてユニセフの活動のことなどもわかりますので、衛生面や経済面などで日本よりもはるかに劣っている国々の子たちを何らかの形でサポートしたいなら、この方法を利用してみてはいかがでしょうか。

相続税の課税対象にはならない

このプログラムは、相続税の課税対象にはなりません。
金額が大きいと、家族に相続させると大きな税金がかかってきてしまいますがそれであればいっそのこと、知らない子たちをサポートして学校に通わせたり医療を整えてあげたい、と考えている人は多いです。

なくなってしまってはこうしたアクションを起こすことができませんが、親族がその遺志を引き継いで行動を起こすことはできます。
募金活動や定期的な送金以外にも、こうした方法でサポートをすることは可能ですしいくつかのやり方がありますので、まずは資料請求をしてみてはいかがでしょうか。

アフリカでは1000円で多くの命が助かる

世界には、満足に食べることができなかったり衛生状況が劣悪で日本ではかかりえないような病気で亡くなる人がたくさんいます。
私も時折募金をする程度ですが、経済的に余裕が出たら遺産はありませんがサポートシステムに登録して、毎月少額から学校にいけない子たちをサポートできるプログラムに参加したいです。

日本での1000円はあっという間に使ってしまう金額ですが、アフリカをはじめ発展途上国ではその金額で何人もが予防接種を受けられますし学用品をそろえる助けになります。
少しだけ自分の贅沢を我慢するだけで、海外の見たことの無い人たちが笑顔になることができるのであれば、それは素晴らしい行いです。

まとめ

慈善活動は経済的に苦しいとなかなかすることができませんが、100円でも世界を変えることはできますし健康で学校に通えるという当たり前の幸せを、すべての人に与えられるチャンスがこのプログラムです。

関連サイト
日本ユニセフ協会 sdgs

ユニセフハウスの人気が高い理由

ユニセフハウスは東京都港区にある学習施設です。
子供がユニセフや世界の現状について学ぶために作られた施設ですが、誕生してからは子供以外にも大人も多く利用しており、幅広い年代の人がユニセフや世界のことを学ぶために利用しています。

 

ユニセフハウスが高い人気を誇っている理由

社会科見学や研修、修学旅行などで見学されることも多いですが、個人的に利用する人も非常に多いです。
高い人気を誇っている理由には、多くの人が世界の現状やそこに住む子供のこと、ユニセフ協会の活動に興味を示しているから、質の高い学びを行うことができる場所だからという理由があげられるでしょう。

 

自由研究やレポート提出のテーマとしてユニセフを選ぶ人も多い

多くの場合は小学校や中学校でユニセフについて学びますが、これをきっかけに強い興味を持つ人は少なくないです。
また、自由研究やレポート提出のテーマとして、ユニセフに関係することを選ぶ人も少なくありません。
ユニセフ協会などの活動によって世界中の様々な問題は少しずつ解決されていますが、それでもたくさんの問題があります。
テレビ番組やインターネット記事などで問題について興味がわき、そこからより深く学ぶことを決める人も多いです。
近年の日本にはこのような問題について興味を持つ人が増えているので、今でもユニセフハウスを利用して学習を行う人が多いと言えます。

 

ユニセフハウスを見学することには大きな魅力がある

インターネットや書籍で調べることでも情報を得ることができますが、ユニセフハウスを見学することには大きな魅力があるので、実際に施設を利用する人が多いと言えるでしょう。
この施設には常設展示と企画展示があるのですが、前者ではレプリカやサンプルを見ながらよりリアルな学びを行うことができますし、後者ではタイムリーな問題についても情報を得ることができるケースが多いです。

 

常設展示で学べること

常設展示では基本的なことを学ぶことができるようになっています。
ユニセフ協会の歩みや活動の基盤となっている子供の権利条約の説明などをパネルで確認することが可能です。
文字だけではなくイラストや写真、図などが活用されており、分かりやすくまとめられた情報を見ることができます。
銃のレプリカや地雷のレプリカも設置されています。
海外では子供でも兵士として銃を持たされたり、戦争がある地域や終わった地域では地雷が埋まっていて子供が被害を受けたりしている状況があり、レプリカを見ながら戦争の恐ろしさを学ぶことができるようになっているというわけです。
サンプルは様々な施設や設備の再現された場所にあります。
戦争や災害地に設置される緊急支援用テントでは支援物資を、発展途上国に設置される保健センターではワクチン運搬用ボックスを確認することができるでしょう。
海外の学校を再現した場所ではどのような教室で勉強が行われているのか知ることができ、実際に使っている教科書まで置かれているので非常にためになるはずです。
シアタースペースを利用すれば、ユニセフの活動を映像で見ることができますし、パソコンを利用してユニセフについて調べることもできます。

 

ツアーガイドを利用するメリットについて

ツアーガイドを利用して常設展示の説明を受けることも可能です。
予約を行っておけば、ユニセフに関する映像を視聴した後にスタッフから常設展示についての説明を受けられます。
自由見学であれば自分のペースでじっくりと展示物が見られるというメリットがありますが、ツアーガイドを利用するのであれば自分では気づくことができなかった発見が得られることが多いです。
実際に幅広い年齢の利用者が参加しており満足度も高いので、子供向けの内容でつまらなかった、説明が難しすぎて分からなかったなどの問題が起こりにくいと言えます。
最後には質疑応答の時間もあるので、気になっていたことを聞いてみると良いでしょう。
あらかじめファックスなどで質問を送ることができるので、事前学習などで絶対に知りたい疑問が出てきた場合には送っておくことをおすすめします。

 

企画展示で学べること

企画展示では利用する期間によって違った展示が行われているので、期間を変えて利用することで新たな展示を見ることが可能です。
内容は多岐にわたっており、気候変動や感染症、学校や戦争などと子供を題材としたものが多いと言えます。
ポスターや写真などを見学することができるようになっており、現地のリアルな状況を知ることができるはずです。
タイムリーなテーマを取り扱っていることも魅力的だと言えます。
過去の企画展示の中で分かりやすいものをあげると、東日本大震災のときはかなり早い段階から支援報告や現状を伝える展示などを行っていました。
様々な地域のタイムリーな問題や支援状況を知りたいと感じる人にもピッタリの展示だと言えます。

 

まとめ

ユニセフハウスを利用すると常設展示と企画展示より深く学ぶことができるので、幅広い年齢の人に人気が高いです。
サンプルやレプリカを見ながら学べる、ツアーガイドが利用可能などのユニークな魅力がたくさん感じられるでしょう。
ユニセフ協会の活動や世界の状況、子供たちのことについて興味がある場合は、ユニセフハウスの見学を検討してみることをおすすめします。

 

関連情報:日本ユニセフ ユニセフ 違い
 

文明を支える石油について

1.資源である石油が生まれた謎

発電所や車の燃料になったり、アスファルトやプラスチックといった製品の材料になる石油は文明社会を支える重要な存在です。

もとは原油という黒くて粘り気のある液体ですが、生成するとガソリンや灯油など色や性質が異なるものに分けられます。

その大きな特徴はとても燃えやすいということです。

自然界にあるもので、一番極めて燃えやすく、それゆえに熱を大量に発生します。

その熱をエネルギーに変換して、電気などに活用することで文明は発展してきました。

その一方で、燃焼をしたときに発生するものですが炭酸水素からできていますから、大量の二酸化炭素ができますし他にも窒素酸化物や硫黄酸化物も生まれます。

二酸化炭素は地球温暖化の原因として注目されていますし、窒素酸化物は酸性雨を、硫黄酸化物は公害をもたらしますから、恩恵だけの存在ではありません。

プロパンガス会社を上手に選ぼう

そんな資源が何からできているのかというと、2つの説があります。

ひとつは有機紀元節そしてもうひとつは無機起源説です。

有機起源説というのは、化石燃料という呼ばれ方をするように、太古の昔に生きていた植物プランクトンの化石がもとになっているという考え方です。

植物プランクトンの化石は、長い年月をかけてバクテリアや地熱そして上に積もった土による圧力の影響を受けて変化していったといわれています。

変化にはどのくらいの期間が必要なのかというと、少なくとも数百万年、数千万年という年月です。

これまで学校で習う教科書でも、この有機起源説が取り上げられているように、石油は植物由来の成分であるというのが有力でした。

ですから、現在、社会で使われている石油は、大昔に仕込んだものを取り出しているだけなので、いずれは枯渇してしまうというのが一般的な認識だったのです。

そこに近年、取り上げられるようになったのが無機起源説です。

2.「無機起源説」と「有機起源説」

最初にこの説を唱えたのは、19世紀後半の科学者です。

地球の奥深くには大量の炭酸水素があり、それが長い年月を変えて岩の割れ目などを通して上昇していく中で、変化していったと考えています。

なぜ大量の炭酸水素が存在しているのかということで、隕石によってもたらされたという説と、マントルで岩と水が反応したためという説に分かれています。

この無機起源説であれば、植物プランクトンの化石が必要ありませんから、地球が存在する限りつくられ続けます。

したがって、有限の資源ではなく無限の資源として、大量に消費しても枯渇することはないというのが、無機起源説を支持する人の主張です。

どちらの主張が正しいのかということでは、根拠とされるものはお互いにありますから決着がついていません。

しかもこの問題には政治や利権が複雑に関係しているので、簡単に答えを出せる状況にはありません。

そんな石油の採掘はどうやって行われるのかというと、油田を掘り進んでいくわけですが、その流れについて見てみましょう。

豊かな油田はほとんどが西アジアの中東と呼ばれる地域に集中しています。

これは有機起源説によれば植物プランクトンが堆積しやすい場所だからです。

しかし無機起源説が正しいければ、他の地域にも油田が出来る可能性が示唆されています。

いずれにせよ、現在は一部の地域で採掘されていることは間違いありません。

油田は、まず数百メートルから数千メートルの深さまで地面を掘り進めなければいけません。

3.壮大なビジネスになっている石油

産油国は決められ鉱区でその工事をする権利を、国内外の企業に公開し入札をさせます。

落札した企業は、採掘の権利を買ったもののどこに石油があるのかということはわかっていません。

ですから、さまざまな調査を行って場所の特定を行います。

そうして収集したデータをもとに、候補地を絞り込み試掘を行って確認作業をします。

この試掘の結果、質が悪かったり埋蔵量が少なかったならば、作業を進めていくと赤字になりますから、撤退という選択肢も出てきます。

そういった問題がなければ、長岡石油などの企業は本格的に動きます。

採掘場所は陸地とは限らず、海底ということもあります。

海上につくられる大きなプラットフォームは、とても巨大で建造物としては世界最大の規模です。

採掘施設の建造とパイプラインの敷設など準備が整えば、動かして生産を開始します。

さらに産出した石油は、どうやって精製されるのかというと、原油という形で産油国から運ばれてきたら製油所に向かいます。

製油所では原油は加熱炉でおよそ350度まで熱せられます。

そうすると蒸気という形になり、蒸留塔で冷却されます。

蒸気からガス・ナフサ・灯油・軽油・重油と分けられていくのですが、それは沸点が異なるためです。

沸点が異なれば、蒸気から変化する温度が異なるので冷却をしていく過程で区別していくことが可能です。

自動車に使われるガソリンは沸点範囲が30度から180度のもの、軽油でしたら沸点範囲が240度から350度です。

それぞれに形状が異なりますし、色も大きく違います。

ガソリンは消費者が目に触れるときには着色されていますが、本来は無色透明です。

シリア内戦の背景と状況

■シリア内戦の背景とは

シリア内戦は2011年3月15日に起きた騒乱が始まりのシリア政府軍とシリアの反体制派また同盟組織などによって起こったものです。内戦がもっとも激しかった頃に比べると2019年2月の時点では落ち着きを見せていますが、内戦の決着を見ることなく続いています。

シリアは正式名称はシリア・アラブ共和国で、中東・西アジアにある共和制の国家で北はトルコ、東はイラク、南にヨルダン、西にレバノン、南西にイスラエルと国境と接し北西は東地中海に面しており、首都はダマスカスです。

現在のシリアはシリア・アラブ共和国を指しますが、もともとはレバノンやパレスチナを含めた地域を指していた言葉であり、古代ローマ時代から使われていました。

歴史的に見れば、複雑で近代においてはオスマン・トルコ帝国の支配下にあり、1920年にシリア・アラブ王国として独立したもののフランス・シリア戦争によりフランスが占領し、フランス委任統治領シリアとなります。

1946年にはフランスから独立してシリア共和国が成立したものの政治的安定は達成できず、1958年にエジプトとの連合であるアラブ連合共和国に組み込まれたものの、1961年に陸軍将校団によるクーデターにより、現在のシリア・アラブ共和国として再独立して現在に至るものです。

ただし、シリア・アラブ共和国が成立したあとの1963年の3月8日革命と呼ばれるクーデターによってバアス党が政権を獲得し、1966年にも再びクーデターによってバアス党組織がシリア派とイラク派に分裂し、さらに1967年の第三次中東戦争によってゴラン高原を失っています。

■シリア内戦が発生した原因とは

政治的な安定は1970年にハーフィズ・アル=アサドをリーダーとしたクーデターと翌年の大統領に選出されてからです。しかし、アサド政権が成立したあとも1973年には第四次中東戦争や1976年のレバノンへ進駐したレバノン内戦、また1981年と1982年には対立派の拠点であったハマーでの虐殺事件が起こっています。

2000年にはハーフィズ・アル=アサドが死去しその跡を息子のバシャール・アル=アサドが大統領に就任してシリア・アラブ共和国の政治を握って現在に至るものです。

シリアそのものは地域、また国家として見れば混乱が続いている国家ですが、1990年代から2000年代にかけては安定しており、また計画経済によって農業、商工業、鉱業ともにバランスの取れたものとなっており石油資源にも恵まれています。

しかしアメリカの経済措置により低迷し2000年代に入ると高い失業率を記録するなど、周辺諸国とみても決して良い状況とはいえません。

それでも外国企業の投資の受け入れやインターネットの導入を進めるなどの改革を行っていましたが、2011年に発生したシリア内戦により経済は極めて深刻な影響を受け、国内の半数以上が失業状態、国民の4分の3が貧困状態に落ちいているとされています。

シリア内戦が発生した原因としては、もともとあったバアス党独裁によるアサド政権への根深い対立や周辺国であり宗主国であったトルコや経済的に繋がりが深いロシア、政治的に対立しているアメリカなどの国家の影響などがしています。しかし、この内戦の引き金となったのは2011年に起こったチュニジアのジャスミン革命です。

■シリア内戦が終結しない原因とは

アラブの春とも呼ばれる中東・北アフリカ諸国での政府に対するデモが波及し、シリアにも及びます。しかし、アラブの春によって起こった反政府運動そのものは殆どの国で政権の打倒の達成や政権側の制圧、または何らかの結実が見られたものに分かれますが、シリアに関しては内戦状態から脱することができずに至るものです。

シリアの内戦が収束できなかった原因としては、政府軍、反政府体制、同盟組織の三つ巴の状態です。また反政府体制も統一した組織ではなく、穏健派もあればイスラム過激派、ロジャヴァなどが存在するなど一枚岩ではありませんし、欧米からの支援も積極的に得られるものではなく政権を打倒するほどの勢いはありません。

特に欧米は民主化を志向しているとみなして独裁政権であるアサド政権に対して必ずしも好意的ではなかったため、どちらにも積極的な支援は行われずに現在に至ります。またISIL(イスラム国)がイラクから進入してくると、状況を悪化させています。  引用元「日本ユニセフ」より

ISILはテロ組織であるとしてロシアは警戒しており、シリア内戦に軍事介入し、またトルコも国内で対立するクルド人勢力とつながりが深いロジャヴァをテロ組織とみなしており軍事介入するなど国境付近でも安定していません。

このような状況から欧米と対立しているアサド政権が、シリア全土を掌握するほどの能力はなく、一方で反政府勢力も一枚岩ではなくその数は17つにも及びアサド政権を打倒するほどの力はないのが現状です。

ここに周辺国の介入やテロ組織が隠れ家として侵入してくるなど状況は極めて複雑になっており、決着点が見いだせない内戦が続いています。